カマリキ

私の小1の息子はカマキリが大好きです。愛しています。去年からカマキリにハマったようで、同じく去年から急にカマキリを飼いだしました。今年も夏に1匹見つけたことを皮切りに、親戚のおじさんからもらったり、学校で捕まえてきたりしながら、同時に3匹が飼われていました。朝起きたらカマキリの入った虫かごに直行、学校から帰ってきたら虫かごに直行、カマキリを虫かごから出して、自分のお腹や腕に乗せて愛でる日々です。

セミは1週間で死んでしまう、カブトムシも成虫になってから2,3カ月で寿命を迎えるのように、夏の生き物は短命なものが多いです。土の中で成虫になる力を蓄え、夏になると外の世界に出てきて精一杯生きる。その理由は「自分たちの子孫を残すため」。その使命を終えるとひっそりと人生に幕を下ろします。夏の生き物に限らず、昆虫や虫たちはそのようなものが多いです。

虫ではないですが、鮭もそうですね。川の上流で生まれ、栄養の豊富な環境を求めて海にわたります。そして産卵時期である秋になると激流や滝、ゴツゴツの岩や石だらけの中を一生懸命遡上し、自分たちの生まれた川の上流まで戻ってきて産卵をします。もう体力の限界に達している鮭は、産卵を終えると力尽きて死んでしまいます。自分の命と引き換えに、新しい命を残すのです。遡上してくる鮭は、その長く険しい道のりの中でも一切何も食べないと言われています。だから体力も無くなり、産卵をすると死んでしまうほどに弱っているのです。エサを食べればいいのにと思うのですが、彼らがエサを食べないことにも理由があります。それは自分たちが我が子のエサとなるためです。鮭がわざわざ生まれた川に戻って産卵をするのは、天敵の少ない場所だからです。言いかえるとそこは水温が低く、プランクトンなどの栄養が少ない場所。そんな場所で孵化した我が子が食べ物に困らないように、自分たちが死ぬことで子どもたちのエサとなるプランクトンを数多く呼び寄せているのです。親の愛です。本当にすごいと思います。

さて、カマキリはどうなのでしょうか。カマキリは産卵後に死んでしまうということはありません。カマキリは秋が深まる11月にも見られることがあります。彼らはどのようにして最期を迎えるのか、それは餓死です。彼らのエサとなる昆虫や小さな生き物のほとんどが秋には死んでしまいます。バッタも産卵後は死んでしまう生き物で、秋のイメージが強いコオロギも11月ごろには死んでしまいます。このようにエサのいなくなった野原の中で、カマキリも最期を迎えます。

それぞれの一生があります。子孫を残すことで自分たちの生涯に幕を下ろす生き物たちの親の愛に感動させられますし、カマキリのように、生まれたころはたくさんの緑の中で、たくさんの生き物たちと一緒に生きてきたのに、死ぬときは茶色の野原の中でひとりぼっちというのも物悲しくて、切なく感じます。

昨日、午前中にふと虫かごに目をやると、1匹のカマキリが仰向けになって倒れてほとんど動かなくなっていました。このカマキリは飼っている3匹の中でも一番古く、私の息子が一番可愛がっているカマキリでした。軽く霧吹きで水をかけたりしても少し足を動かすだけで、起き上がることはありませんでした。学校から帰ってきたら息子は悲しむだろうなと思いながら仕事に行きました。

仕事から帰ってきた後、息子の様子を妻に聞きましたが、まだカマキリは生きていたようです。「逃がしてあげる」と言って草むらに離したそうです。息子も寂しく、悲しかったと思います。

捕まえたりせずに、自然の中で人生を全うさせてあげた方がカマキリは幸せに決まっています。午前中に虫かごの中で倒れて動かなくなっているカマキリを見て「ごめんな」という言葉が自然と出てきました。今もその気持ちは変わりません。だからこそ、それぞれの生き物が命を懸けて自分の子供を愛するように、私の息子もこのカマキリが自分の命を犠牲にしながら教えてくれた大事なことを理解してくれていたらと心から願います。